ここ最近の出来事を振り返ると、なんだか心が疲弊している感じです。
なぜだろうと思って原因を探ってみると、ある結論に達しました。
それは、くだらなくてちっぽけなプライドを抱えているということです。そのくだらないちっぽけなプライドが自身をダメにしていることに気づきました。
プライドとは
プライド(pride)
誇り。自尊心。自負心。「プライドを傷つける」「仕事にプライドをもつ」
プライドというのは、自尊心のことだったのですね。では、自尊心とはなんでしょうか。
じそんしん【自尊心】
- 自分を優秀な者だと思う気持ち。尊大に構える心。プライド。
「 -が強い」- 自分の品位を保とうとする心。プライド。
「そんなことは-が許さない」
まさにこれですね。くだらなくてちっぽけな「自尊心」を握りしめていました。
他人から言われたことに腹がたつ
くだらなくてちっぽけな自尊心を握りしめていると、他人から言われたことに腹がたちます。
「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ」
とか、
「あなたに言われたくはない」
といったことです。
相手も自分の都合で物事を言っているのだと思います。
ただ、せっかくなのでそれを受け取る側、私の都合として受け取った方が良いに決まっています。
だってそうでしょう?お願いしていないのに言われたくない。という気持ちになるのは当然です。
しかし、お願いしてないのに自分の欠点を指摘してくれたと思えば、めっちゃおトクじゃないですか。
すぐにはそう思えない
そんなこと言っている私ですが、いくらなんでも言われた時にすぐそう思うことはできません。だって自尊心がありますから。
言われた時は、「ちくしょー」とか「なんなんだよ」と感じてもいいと思うんです。
ただ、くだらないちっぽけな自尊心は捨てて、時間をおいてもう一度考えてみた時に「自分のために言ってくれたんだな」と思った方が良くないですか?
そんなこと言っても、どう考えたってそうは思えない。とするならば、別にそう思わなくっていいんです。
ただ、いつまでも怒りの感情を抱えたままイライラしたりモヤモヤするくらいだったら、自分の糧にした方が得でしょう?ということです。
なんでも得をしたい
自分に起こることすべていいことであると思えるようになれば、なんでも得しているということです。
私は欲張りなので、なんでも得をしたいのです。
一見、自分にとって不利益なことが起こったとしても、いずれはプラスに変えてみせる。変えてやるんだと思うようにしています。
そうすれば、あの時の出来事のおかげで、今の自分がいる。と言えるようになれるのだと思っています。
調子が悪いと見失う
もともと、くだらないちっぽけなプライドを捨てて泥まみれになるつもりでフリーとして開業しました。
毎日作業をしていると、調子の波があります。
文章がすぐに書ける日もあれば、書き出す(書けるようになる)までに時間がかかって夜中、朝方になってしまったりする日もあります。
その調子の波、バイオリズムを自分で認識できていない時にこのくだらないちっぽけなプライドが顔を覗かせているようです。
調子が悪いと見失います。調子が悪い時は負の感情が湧き出てきますので、注意しなくてはなりません。
くだらないちっぽけな自尊心が自分自身の行動にブレーキをかけだします。
自尊心がブレーキをかける
自尊心がブレーキをかけるとはどういうことでしょう。
たとえば、何か知らないことがあったとしても「こいつ知らなかったのか」と思われたくないから人に聞かない。
とか、
自分がやってみたいことや興味があることをすでにやっている人に対して、素直になって話しかけたり、質問したりすることができない。
ということが起こります。
このようなことが続くと自分をダメにする。ということに気がつきました。いや、もともと知っていたのですが見失っていました。
器の大きなアホになれ
このような考え方を持つきっかけなった一冊の本があります。筑波大学名誉教授の村上和雄先生の著書、アホは神の望みです。
村上先生は遺伝子研究の第一人者で、本書は人間の遺伝子レベルからみた成功哲学を記していて、愚かという「徳」を持った人になりなさいと書いています。
私はなんでも「得」をしたいと思っていましたが、「徳」を持った人にならなくてはなりませんね。
もう一度本書を読み直して、くだらなくてちっぽけなプライドを叩きのめそうと思います。
まとめ
くだらないちっぽけなプライドが自分をダメにしていることに気づいたということについて書きました。
もちろんプライド、自尊心は必要なものです。
ただ、それを握りしめたり振りかざしたりすると、くだらなくてちっぽけなものになってしまいます。
ライターたるもの、文章力と同時に人間力も向上させていきたいものです。