ライターとして思う、文章を書くということ

ノートPCとペンとメモ帳

私、大城あしか(@417ena)はフリーライターとして活動していますが、まだまだひよっこです。今回はセルフプロデュースの一環も含めて、「文章を書くということ」について書きます。

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文章というツールが持つもの

文字は相手に思いを伝えることのできる便利なツールです。書き方いかんで相手に与える印象を選ぶことができます。

また、相手の状態によって捉え方が異なってしまうという危険性もあります。

こちらはそういうつもりではなかったのに、なぜか怒られてしまった、気を悪くさせてしまった。という経験はありませんか。

文字ですべてを伝えることはできない

ある出来事について文字ですべての情報を伝えることはできません。不可能です。だから、私はまず「文章ですべてを伝えることはできない」というところを考えた上で書いています。

ブログにしても、雑誌や新聞にしても、文字と一緒に写真(画像)が掲載されています。写真は文字情報を補う役目であったり、背景を思い浮かびやすくする役割があります。

一方、小説は基本文字のみで書かれていますので、読み手はその登場人物や情景を自由に頭の中で描くことができます。それが小説の醍醐味の一つであると言えるでしょう。

一見、矛盾しているようですが、はじめから小説はすべてを伝えようとしていないように思います。

作者は読み手にある程度、想像する自由を与えています。好きに読んでくれ。といったところでしょうか。

文章にも相性がある

この人の文章は読み心地が良いとか、この人の文章は読みづらいといった相性があると思います。もちろん科学的な理由もあるでしょう。

ただ感覚的に「なんとなく」そう思うことについては、なかなか説明をするのも難しいかもしれません。

書き手のこういった表現の仕方が好き。でもこういった表現が苦手。総じてこのような感じでしょうか。

ニュースのように大勢に物事を伝える文章ではなく、ターゲットを絞ってニーズに刺さる文章を書けるように心がけています。

私の理想は文章に性格を持たせることです。いろんな角度や切り口で文章を書くことで一人で何役も演じることができます。

「私が書いた文章」というよりは、書いた瞬間に私から離れて文章が旅立っていくような感覚です。

文字に感情を込める

私は、文章を書く時に、文字に感情を込めるように心がけています。この感覚を文字に起こすのが難しいのです。

感情に色をつけるとするならば、怒りは赤で悲しさは青といった感じでイメージすることができます。

文字に感情を乗せるということは「怒り」と書けば怒っているところを想像することができるでしょうけど、それ以外の感情は見えません。

怒りをテーマにして感情を込めてみます。

「私は思いもよらなかった瞬間に立ち会うことになり体が震えた。溢れ出る感情を押し殺して、その場に立ち尽くすことで精一杯だった。」と書いたとしましょう。

どのような場面を想像しますか。名もなき主人公の姿が目の前に実際に現れているように感じませんか。

矛盾から生まれるものに価値がある

文字ですべてを伝えることはできないという前提から、文字に感情を込める作業というのは矛盾しています。

私は矛盾から生まれるものに価値があると思っています。文章を書くということは常に模索していることにつながります。

私にとって文章を書くということは、息をするように文字を書き出すのではなくゼロからイチを生み出すための創作物であると考えています。

キュレーターとして仕事をいただいた時に、「個人の主観、感想は一切入れないこと」と指摘をされました。これでは、誰が書いたっていいんです。

私の文章は私にしか書けないという自負があります。そうでなければ、ライターとしてやっていこうだなんて思わないでしょう。

まとめ

このように生み出された文章は、とても愛おしいものです。1,000文字ちょっとの文章でも大切な作品であると思っています。

自分の文章が必要とされて、多くのみなさんに元へ旅立っていく日が来ることを願って、日々ブログを更新しています。

ライターとして思う、文章を書くということ
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