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自分を客観的に見ることができる人生の棚卸しのススメ

自分を客観的に見ることができる人生の棚卸しのススメ

2017年2月25日
エッセイ
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Yシャツとメガネ

先日、職務経歴書の自己PRについて記事を書きましたが、結構自分を客観的に見ることって難しいですよね。

当ブログの運営者、大城あしか(@417ena)のプロフィールをブログに掲載する為に人生の棚卸しをしてみました。

人生の棚卸しとは?

もちろん私が考えたコトバではないのですが、人生の棚卸しを私は「現在の自分を時系列に紐解いていくこと」と解釈しています。

いま、ここにいる自分はなぜこのような毎日を送っているのだろうか。なりたい自分になれているのだろうか。そもそも、なりたい自分ってなんだったっけ。ということを紐解いていきます。

現状の自分に満足しているか

幼い頃なりたかった職業って覚えていますか。私は、電車が好きで車掌さんになりたいと思っていました。

なぜ運転手じゃないのか。それは「人の命を預かる責任重大な仕事なんか自分には重荷過ぎる」という理由でした。これを考えたのが幼稚園の時です。

でも、私はいま車掌の仕事に就いていません。いや、仕事に就けていません。と言ったほうが適切でしょうか。なぜ、そうなったのでしょう。

人は影響を受けながら成長していく

幼い頃からの夢にブレずに生きていれば、私は今ごろ鉄道会社で働いて毎日電車に乗っていたかもしれません。しかし、人は様々な友人や恩師との出会いなどから影響を受けたり、変化を伴いながら生きています。

小学生の頃、5年生になって初めて男の先生が担任になりました。H先生としておきます。そのH先生がとても児童想いの先生で、僕はとても尊敬していました。

今思うと尊敬なのですが、当時はH先生のことをお兄さんというような感じで、とても信頼していて好きな先生でした。

祖父が教員だったこともあり、私はH先生のような教師になりたいと思うようになりました。しかし、強い気持ちがなかったのでしょう。漠然とした憧れだけで実際に行動をとることはありませんでした。

中学生の友人から受けた影響

中学生になると、学校をサボりがちになるのですが、音楽好きな友人ができて学校に行った時は授業の合間に廊下でよく歌ったりしていました。高校へ進学すると、バンドを組みたいと思うようになります。

実は、今では全然弾けませんが、幼少期からエレクトーンを習っていたので(習わされていたというべきか)、日常的に音楽に触れていたこともあったのかもしれません。

詳細はプロフィールに書いてあるのでここでは書きませんが、音楽関係の仕事に就きたいと思うようになりました。

成人前に下した決断と味わった挫折

電車の車掌、学校の先生、音楽業界、私はこのようになりたい職業が二転三転して大人になりました。

でも、「車掌になるにはどうしたらよいのか」「先生になるにはどうしたらよいのか」ということは、考えたことがありませんでした。

恥ずかしながら、大人になればその道が開けてくるのかなと思っていました。そんなわけないですよね。

私はギリギリの出席日数とギリギリの成績で高校を卒業するのですが、その時にひとつの決断をして挫折を味わいます。

自分は本当は音楽関係の仕事に憧れていただけだったんだ。という事実を叩きつけられた瞬間でした。

この経験を引きずって社会人となる

自分がなりたいと思ったものになれなかった時の絶望感は、私の中に大きく傷跡を残しました。

何かに挑戦しようと思った時に「また、あのどうしようもなく打ちのめされた思いをしなければならないのか」という考えが頭の中をよぎってそれに支配される感覚がありました。

しかし、わずかな勇気を振り絞りながらそこから私は、挑戦をしては失敗をする人生を繰り返します。

みっともないくらいの負け犬人生です。

人生の転機が訪れた

東日本大震災があった2011年、私は2月に職を失います。

3.11は関東にいなかったので実際に被災を体験していないのですが、あの頃仕事もない状態で関東に住み続ける意味があるのか、とても悩みました。

震災でたくさんの命が失われてしまいました。

「命ある自分はやりたいことやできることについてもっと真剣にならねばならない」と考えるようになります。

振り返ると、東日本大震災は日本人にとって様々なことを考えさせられる出来事でしたが、私の人生においても大きなターニングポイントとなりました。

なりたい自分へ具体的に動き始める

無職になった私は、20代の頃から会社員の働き方に違和感を持っていたことから、これを機に独立を目指そうと考えます。

その準備期間として勉強やスキル向上の時間をとりつつ生活をしていく為に、派遣の仕事に就きます。

派遣の仕事は始めから「40歳までには独立する」と期限を決めていて、実際に派遣社員として働いているなかで、派遣先の会社に大きな変化がありました。

派遣先の会社が合併するという通達があったのです。私は当初の計画よりも少し早い時期でしたが、契約の延長をそこで断ります。

今までの自分と決別、新たな挑戦

派遣社員を辞めるまで、やはり決断をするには多大なる勇気が必要でした。

辞めると決めたものの「本当に大丈夫だろうか、やっていけるだろうか」といった独立を考えたことがある人なら、誰しも悩むであろうと思います。

そんな時に、鉄道会社の駅事務員の募集を見つけます。私は鉄道会社で働きたかった夢を思い出し、自分の過去と決別する為に求人募集に応募しました。これで受からなければ、派遣を辞めて独立しようと。

結果、駅事務員は不採用となりました。

フリーライターの道を進む

私は、誇れるような学歴もなければ、立派な経歴もありません。あるのは引きこもりの経験と、たくさんの失敗と挫折です。

今までの20年は無駄であったとは思っていませんが、我ながらあまりにも報われない半生であったなと感じています。40歳を目前として2回目の成人式を迎えるつもりでいます。

しかし、それは自分がそう選んで来た道です。なるべくして、なっている自分です。もっと自分を信じて挑戦させてあげればよかったと反省しています。

そんな経験をしたので、40歳からの20年はなりたい自分を実現させてあげる為に、少ない勇気を振り絞って挑戦することにしました。

もう失敗したままで逃げられない

もしもこの道が閉ざされてしまったら、先行きは全く見えません。どうやって生きていくのか見当もついていません。

だからこそ、必ず自分自身で自分の希望を叶えてあげなくてはいけません。

自分の経験を文章に変換することで、おなじように悩んでいる人やツラい思いをしている人の役に立つことができれば、私の半生も報われるでしょう。

まとめ

結局自分の人生の棚卸しとなってしまいました。

このように、自分の生きて来た半生を時系列で紐解いていくのは場合によっては痛みを伴う苦しい行為であります。

忘れてしまいたかったことや、思い出したくないことが次々と出てきて心が痛くなることもあります。

それでも、新しい自分に出会いたい、もういちど新しいことにチャレンジしてみたいと思っている方に、私は人生の棚卸しをオススメします。

失敗や挫折を恐れずにぜひトライしてみてください。