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ヨイナイイナとは

ヨイナイイナとは

2016年7月11日
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ヨイナイイナとは?

フリーライター大城あしかの「よいなと思うモノ、いいなと思うコト。」を書き綴ります。

大城あしかの自己紹介

1970年代後半生まれ 好奇心旺盛な楽観主義者。

時間を切り売りして生計を立てることを捨て、時間と収入の両方を得ることに挑戦すべく、フリーへの道を選ぶ。

趣味のスポーツツーリズム(スポーツ観戦を目的とした観光)中心の生活ができるようになることが目標のひとつ。

プロフィール

初めてパソコンを買ってインターネットの世界に足を踏み入れたのは2000年の頃。

世間では「Y2K」と呼ばれた2000年問題が騒がれていた。僕はそのインターネットを決して好きで始めたわけではなかった。

中学・高校はひきこもりだった

僕は勉強が大嫌いで、大学に行くつもりはなかった。いや、大学には進学できなかったといった方が正解だろう。

とにかく学校という空間が嫌で、中学の頃から授業をさぼって自分の部屋にこもって音楽ばかり聴いていた。

そのうちやっぱりバンドに憧れて、ギターを買ってみたりしたけど、全然上達しない。

練習を重ねてようやくFのコードが出るようになって、当時大好きだったブルーハーツの曲をコード弾きでガシャガシャかき鳴らして満足していた。

チキンなギタリスト

でも自分のギタープレイに自信が持てずに、とても人前で弾くなんてできやしなかった。

いつしか、表舞台に立つプレイヤーになれないのなら、裏方でも音楽に携わる仕事がしたいと思った。それが音響の世界だった。

音響の仕事に憧れて、なんとか高校を卒業して専門学校に進学した。音響なんて学校で学ぶものではなかったのに。

太陽が眩しかった専門学校時代

もともとひきこもりだった奴が毎日学校に行くはずもなく、勉強嫌いが専門学校で「音響を学ぶ」ことに、まっすぐ向き合うことなんかできるわけがなかった。

やがてバイトに明け暮れて、友人と夜遅くまで遊び回って授業をサボるようになった。

その結果が留年。専門学校で留年なんてお粗末にも程がある。卒業間近の2年次の12月に下された事実。

親はそんなダメ息子に「卒業するまで続けなさい」と言ってくれたが、当の本人にそんな気持ちは微塵もなかった。

音響は諦めて就職しよう。そう思った。

ライブハウスで働くも挫折

どうしても音響の夢を諦めきれず、求人募集していないライブハウスのオーナーに無賃で雇ってくださいと直談判をして運良く使ってもらうことになった。

しかし、目の前の雑務をこなすだけの日々で何ひとつ技術が身につかない。

職人気質の先輩たちから教えてもらうことも何やらよくわからず、憧れは所詮憧れだったんだと挫折。

20代でリストラ!いきなり無職

当時、お世話になっていた方からのアドバイスもあり地元の雑誌社の求人に応募し採用。社会人としての第一歩を編集者として踏み出す。

その後、若気の至りで上司に反発して一度退職するも、数ヶ月後に当時の先輩が拾い上げてくれて再び編集部で働くことになる。

社会人になって右も左もわからないなかガムシャラに働く日々。

小さな出版社だったので、営業、編集、取材とマルチな仕事を担当することで器用貧乏的にスキルが身についた。

しかし、ある日の朝礼で会社が傾いているので大規模なリストラがおこなわれることが伝えられ、数日後に役員に呼び出されてリストラを告げられる。

悔しくて思いっきり泣いた。

同級生のオタクから刺激を受ける

この先、何をしたらいいのか五里霧中をさまよっていた時、高校時代の同級生と久々に会い転機が訪れる。

そいつはパソコンが得意で、クラスからも「オタク」と呼ばれていた。

その当時はパソコンが趣味というだけでオタク扱いされていた時代。僕もパソコンに対して、スマートなイメージを持っていなかった。

久々に会った友人は、パソコンを使って曲を作ったり、インターネットを駆使して新しい事をやっている事を自慢げに話した。

しかし、話を聞いても当時の僕は何をやっているのか分からなかった。

パソコンが使えるようになりたい

ふと思った。僕はコイツに負けている。なんだか許せなかった。コイツには負けたくない。パソコンが使えるようになりたい。

でも、ヤツから教わるのはシャクに触る。追いついてまずは対等に話ができるようになってやる。

そんなことを考えていたら、もういてもたってもいられなかった。

パソコンないのにWeb制作会社へ

ライブハウスに無賃で雇ってくれと飛び込んだ時のようにホームページ制作会社の企画営業の求人に応募をした。

パソコンすら持っていない、もちろんインターネットの知識なんてまったくない状態だったにもかかわらず。

面接ではやる気や情熱だけを熱く語りまくった。その気概を汲み取ってもらったのか、面接に合格して入社が決まった。

仕事をする中で分からない事だらけだった。必死になってパソコンの「いろは」や、インターネット用語を覚えていった。

インターネットってめっちゃ楽しい!

入社1ヶ月後、会社からノートパソコンを支給され自宅に持ち帰っても良いと許可が出て、自分の趣味に関するサイトをネットサーフィンする日々を過ごす。

毎日が新鮮だった。

ネットでいろいろな人と話がしたくて、あるサイトに設置されていたチャットに顔を出すようになった。

チャットでやりとりをしていく中で、会話のスピードについていけずにもどかしさを感じていたことでタイピングの練習をするきっかけとなる。

会話の回数を重ねる中で日に日にタイピングが上達していき、会話の流れについていけるようになったのがとてもうれしかった事を覚えている。

インターネットが楽しくてしょうがなかった。

念願のパソコン購入!オタクの仲間

その後、自分のパソコンをようやくゲット!忌み嫌っていたオタクの仲間入りをする事になる。

当時のインターネットの住民は、みんな知識が豊富で分からない事はメールやチャット、メッセンジャーを通して教えてくれた。

仕事から帰ると、パソコンの電源を入れることが日課となった。

ネットさんと呼ばれる

そのうち、リアルの友達や当時付き合っていた彼女よりもネットの仲間を優先する事が増えてきて、どっぷりとネットの世界にハマっていった。

今思えば、パソコンやインターネットが好きだった訳ではなく、いつでも好きなときに、人と交流できる。

同じ時間に決まった相手と会話できる。そんな魅力に取り憑かれたのだろう。ある集まりの仲間からは「ネットさん」と呼ばれて、からかわれていた。

ここから少し端折ります

その後、ITやWeb関連の仕事に就いてステップアップのため転職を何度か経験。

もちろんすべてが成功した転職ばかりではなく、失敗した転職もありジプシーサラリーマンとして社会をさまよう。

2016年、会社に身を置く雇われる立場から脱却することを決意。フリーランサーとして活動を始める。

まとめ

時は流れ、IT業界に身を置く事になった今、デスクワークではパソコンを使って仕事をすることが当たり前になり、家に帰ってパソコンの電源を押すのがいつしかイヤになっていた。

アラフォーになって歳をとったのかもしれない。当時のようにワクワクを感じる事はもうできないのだろうか…。

それでも「これ良いモノだな」「こんなコトがあるといいな」と思う感覚に変わりはない。

おわりに

そんな思いを奮い立たせてブログ【ヨイナイイナ】を開設しました。

拙い自己紹介を読んでくれてありがとうございます。端折った部分はブログの中で記事として小出しにしていきますので、興味がある方は読んでみてください。

どうぞよろしくお願いいたします。

大城あしか(@417ena

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大城あしか

大城あしか

パラレルワーカー・ライター

好奇心旺盛な楽観主義者。

「よいなと思うモノ、いいなと思うコト」を書き綴ります。エッセイをnoteで更新中。